SEO日記 一喜一憂 (仮題)

参考になるかならないかはアナタ次第です。Googleが好き。自社サイト、ネットショップとかのSEOコンサルとか広告運用とか。SEOはマーケティング。

SEOに必要な知識と情報とどこまでも続く人生を思ったりしてみた。

情報は不足していて、それを考えつく、見つけられる知恵をもった人か、得られるポジションにいる人だけが利益を得ている時代から、情報は溢れかえって誰でも得られるものに移り変わってきたが、かえって必要な情報にたどり着くためにスキルや知恵が必要な時代になってきた。

SEOの相談を受けながらそんな事を考えていた。

f:id:kiku0429:20180705200209j:plain

(なんでも勉強中:ぱくたそ)

 

SEOにも同じことが言える。もし自分が黙っていても情報が回ってこないと思っているのなら(ほとんどの人がそうだろうが)動くしかない。能動的に情報を取りに行くしかない。

1番は手を動かして、付随して脳も動かすこと。これが出来るか出来ないかで大きく差がついてくるし、自分で動かせない人は動かせる人に頼むことになる。(対価を支払って)

 

ただ、ここで人に頼む時にもある一定の知識がいる。その仕事を頼みたい人が、期待した効果を出せる人なのかどうか、期待するスキルを持っているのか、その評価をしなくてはならないからだ。

現在はこの知識が無い人がまだまだ多いのと、以前あった【外注=下請け=丸投げ=金払ってるから偉そうにできる】なんて価値観の残り香により、揉め事の話もよく聞く。

 

KPIが曖昧だと、発注元と発注先が考える【成果・結果】に相違が出てしまい、モチベーションも下がりそこには「やってる感」だけが漂う生ぬるい地獄のような仕事が待っている。 

 

知識を得るためには情報が必要だ。

たくさんの情報を得て知識に変えるための努力も必要だ。

もはや当たり前だとは思うが、量と質の関係は【量が質を生む】というものだ。量をこなさなければ質を上げる事はできない。 

 

正しそうな情報を取捨選択し、自分に必要な情報を集め、それを組み合わせて知識として、その有効利用を考えることで知恵となっていく。

 

仕事をしていくには誰しもがこのサイクルからは逃れられないし、逃れた道はまた別のタイプのイバラが生い茂っているだろう。

 

そんな時代になってしまった、とネガティブに考えても仕方ないが、なるべく労力をかけずに働いて週末に酒を飲みながら溜まった心の澱みを流していく人生もそれはそれでいいんじゃないかとも思うし、自分の中の青臭い誰かが上を目指そうともがいているのも感じて、できればこいつに日の目を見させてやりたいな、なんて事も思う。

 

結局そこに答えは無く、ただただ続く道の途中、永遠に中ボスと戦い続ける日々とどう折り合いを付けていくのか?というくらいだろう。

 

ドロップアウトはいつでも出来る。

Googleアルゴリズムを追わなければいいだけだ。

ただ、自分はまだその時じゃない。

 

そんな事を考えながら、今日もインプットという名の読書をし、Analyticsやサチコを見てはコンテンツの企画を考えたりする。

 

いつかサチコが幸子になって幸せでも運んで来てくれねぇかなぁ。